抗うつ薬の評価には学習性無力というモデルを用います。一般にうつ病の患者に「頑張って!」という言葉は禁句だといわれます。頑張って、頑張ってこれ以上頑張れなくなって破たんした状態がうつ病で、その患者に「頑張って」というのは症状を悪化させるだけであると考えられます。このようにこれ以上頑張れない、頑張っても乗り越えられないことを学習して何もしなくなる(無力となる)ことを学習性無力(learned helplessness)といい、ネズミで実験的に作り出したものがうつ病の評価モデルとなります。

3-1 強制水泳(Forced swimming)

 測定方法が比較的簡便で広く抗うつ薬の評価及びスクリーニングに使用されているのが強制水泳試験です。水を張ったビーカーなど円筒状の容器にネズミを入れ無動時間(呼吸及び浮くために必要な動作以外は動かないでいる時間)を測定する方法で、脱出できないことを学習して泳ぐことをあきらめた状態と解釈されています。抗うつ薬の投与はこの時間を短縮し、無力状態から気力を回復させる効果があるものと推測されます。抗うつ薬は一般に長期間の服用で臨床効果を発揮するといわれていますが、強制水泳試験でも連続投与で強い効果が認められます。測定は5分乃至10分程度の短時間で、ストップウォッチを片手に肉眼観察で測定することも可能ですが、無動時間の測定装置も開発されています。

Mouse Forced Swimming Test
写真はLafayette Instrumentより引用

 装置で無動を判定する方式は、横からの赤外線センサーもしくは焦電型赤外線センサーで動物の移動がないことを判定する方式と、カメラで撮影しPCソフトで判定するビデオトラッキングによる方法があります。赤外線センサーで測定する装置は比較的セッティングが簡単で、ビデオトラッキングではPCソフトで自動解析するために照明や反射なども考慮したカメラの設置が必要になります。ビデオトラッキングでは通常、撮影した画像を白黒の二値化し、ネズミと背景色の明暗差からネズミを認識します。黒い測定ケージに白いマウスを入れれば、暗い方が背景明るい方がネズミとなり、白い床敷きの中に黒いネズミが入れば暗い方がネズミ明るい方が背景となります。一般に水面は反射があり、反射は水面の揺れで変化するため、ビデオトラッキングで動物を正しく認識するのは難しい条件と考えられます。白いマウスやラットであれば水槽の底面を反射の少ない濃い色のものとし、水面に直接照明が当たらないようにするなどの工夫をして、あらかじめネズミの泳ぎを正しく認識できるセッティングを検討して測定する必要があります。このような工夫で正しく認識できれば、赤外線センサーによる判定よりも厳格に無動が認定できる可能性があり、また、ビデオ映像による再解析や不審な点がある際に映像を見ながらマニュアルで再解析することも可能となるなどのメリットもあり、それぞれ一長一短があります。

 強制水泳の試験では脱出不可能であることを学習させることが必要であり、水槽の外に出られない程度に水面を低くします。水面の高さによりネズミの尾が底面に届く場合がありますが、届いてしまったら測定できないということでもありません。ラットで尾が届かないようにするためには、かなり背の高い水槽が必要となり使い勝手が悪くなりますので、必ずしも尾が届かない高さにこだわる必要はないと考えます。水温が低ければあまり泳がなくなり、高ければ比較的よく泳ぎますので水温は大変重要です。すべてのネズミの測定中、同じ温度に保つ必要があります。通常、測定装置に保温機構などはありませんので、測定室の室温を一定にして、水温を室温に保つことが現実的な測定方法となります。水槽に水を張った状態で測定前から測定室に入れ、室温と同じになるまで放置しておけば簡単です。1匹測定するごとに水を変えることは理想的ですが、多数匹のネズミのために一定水温の水を大量に用意することは難しく、実際には1匹の測定後、糞を取り除いてそのまま次のネズミで試験することが多いと思います。

 強制水泳試験を実際に実施すると水がかなり重く、また、濡れたネズミのケア(水をふき取るなど)も考慮が必要となり、水に入れる実験は意外と手がかかることを実感すると思います。強制水泳試験と同様に脱出できない状況下で動かない時間を測定する試験として尾懸垂試験(tail suspension test)があります。文字通りマウスを尾で吊り下げて動かない時間を測定する試験で、抗うつ薬は無動時間を減少させます。無動状態を学習性無力と想定し、強制水泳試験と同様ですが、尾で吊り下げるという手続き上体重の軽いマウスで測定します。

3-2 学習性無力モデル(Learned helplessness model)

 上記、強制水泳及び尾懸垂試験ともに脱出不能を学習した無動状態と説明しましたが、一般的に学習性無力と呼ばれている動物試験では、脱出不能な刺激として足蹠(足の裏)への電撃を用います。シャトルケージと呼ばれているシャトルアボイダンス(shuttle avoidance)などの能動回避学習(active avoidance)に使用するケージで測定します。通常、同じケージを二つ結合し、その間がギロチンドア(上下に上げ下げする形状からの名称)で仕切られた形のケージをシャトルケージといいます。床は電撃がかけられるように鉄の棒を等間隔に配置した形状となっています。日本ではよくグリッドと呼びますが、英語のgridは格子を指しますので、縦横ではなく一方向だけに棒を配置している形状は厳密な意味でグリッドではありません。どちらかの部屋に入れたネズミが床からの電撃に対して隣の部屋への逃避行動を示します。隣の部屋へ移動するドアを開けることによりネズミは移動して電撃から逃避することが可能となりますが、ドアを閉めた状態では逃避不可能な電撃(inescapable foot shock)となります。マウスあるいはラットに逃避不可能な電撃を加えることにより逃避をあきらめる学習性無力状態を誘導し、無力状態はギロチンドアを開けた状態での逃避行動(隣の箱への移動行動)の回数を数えることにより測定します。抗うつ薬は無力状態を改善して逃避行動を増やします。シャトルケージやショックジェネレーター(電撃負荷装置)などの高価な装置が必要ですが、シャトルケージでの逃避行動は正確に回数が測定できるため、強制水泳等の無動時間より客観性の高い指標と考えられます。

3-3 攻撃行動(aggressive behavior)

 うつ病は気分障害(mood disorder)の一つで米国精神医学会の診断基準であるDSM-IV(精神疾患の診断・統計マニュアル)において「気分障害は、うつ病性障害("単極性うつ病")、双極性障害、及び病因に基づいた二つの障害、一般身体疾患による気分障害と物質誘発性気分障害に分けられる。」と記述されています。うつ病性障害がいわゆるうつ病で「大うつ病エピソード」の有無により診断され、双極性障害がいわゆる躁うつ病です。大うつ病エピソードの基準A(1)として述べられている抑うつ気分、「その人自身の言明(例えば、悲しみまたは、空虚感を感じる)か、他者の観察(例えば、涙を流しているように見える)によって示される、ほとんど一日中、ほとんど毎日の抑うつ気分。」の記述に注として「小児や青年ではいらいらした気分もありうる。」と述べられています。うつ病では抑うつ状態だけではなく、いらいらして怒りやすくなったり攻撃的になったりすることがあるようです。

 ネズミの攻撃行動を観察測定するモデルでも抗うつ薬が評価されています。1匹ずつ隔離飼育したマウス2匹の片方(侵入者:intruder)をもう片方(居住者:resident)のケージに入れるとresidentがintruderに噛みつくなどの攻撃をしかけます。この攻撃時間を測定して指標とすると、抗うつ薬の投与により攻撃時間が減少します(1)。このような測定方法をresident-intruder modelと呼びます。また、ラットがマウスを噛み殺す(muricide)という行動が抗うつ薬の投与により抑制され、うつの動物モデルとされていましたが、現在は動物愛護の観点からもモデルとしては利用されなくなりました。Muricideはthiamine(ビタミンB1)欠乏ラット あるいは嗅球摘出ラットなどで観察されます。

3-4 おわりに

 「うつ」には適切な動物モデルがないといわれています。強制水泳試験などのモデルは抗うつ薬で比較的選択的に活性が検出され、操作も比較的簡便なためスクリーニングモデルとして優れていますが、動かない状態が学習性無力なのか、学習性無力がうつ状態を反映しているのか議論が分かれるところです。また、攻撃行動はうつ病以外の多くの精神疾患でも観察され、うつのモデルとして用いるには選択性に欠けます。うつ病の発症原因を長期の繰り返される過剰なストレスと考え、ネズミにストレスをかけ、その後の行動を観察する研究も盛んに行われています。ストレスはうつ病だけでなく様々な病気の要因になっていると考えられ、ストレス負荷後の精神的身体的変化を調べる研究は大変有用です。精神的変化は行動で評価しますが、うつ状態は無動や逃避行動の欠如など一般的な行動抑制(動かない状態)と区別できないところが評価を難しくしています。臨床でうつ病性障害は双極性障害と並ぶ気分障害に分類されていますが、ネズミで双極性障害のモデルはありません。双極性障害で抗うつ薬は躁転を起こす危険があるため、双極性障害の治療には気分安定化薬(mood stabilizer)と呼ばれる薬物を使用します。代表的な薬物はリチウム(Li)ですが、Liが強制水泳、尾懸垂、学習性無力などネズミのうつ状態のモデルや攻撃行動のモデルで活性を示すことは大変興味深いです(2)。双極性障害の躁状態は動物では探索行動(運動量)の増加などで評価しているようですが、探索行動の増加は躁に特異的なものではなく、どのような動物で評価するかが重要です。特定遺伝子のノックアウトマウスの行動異常は一つのモデルとなるかもしれません(3)(4)。うつ病エピソードを発現する双極性障害の動物モデル(5)による研究はうつ病の動物モデルにも新しい知見をもたらすことが期待されます。

参考文献

実践行動薬理学

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