2-1 統合失調症と動物モデル

 統合失調症の治療薬を一般的に抗精神病薬と呼びます。30年前の講義で患者の病識がないのが精神病(統合失調症や躁うつ病)とあるのが神経症(不安神経症)と聞いたことがありますが、現在の総称としては精神障害あるいは精神疾患といった言葉を使い、疾患名として精神病という単語は使用していないようです。統合失調症は精神病の代表的な疾患で、薬にその名前が残っています。統合失調症の特徴的症状としては、一般に陽性症状と陰性症状があるといわれております。米国精神医学会の診断基準であるDSM-IV(精神疾患の診断・統計マニュアル)には特徴的症状として1)妄想、2)幻覚、3)解体した会話(例:頻繁な脱線または滅裂)、4)ひどく解体したまたは緊張病性の行動、5)陰性症状(すなわち感情の平板化、思考の貧困、または意欲の欠如)が挙げられています。幻覚、妄想など1-4を陽性症状と呼んでいて、一般に抗精神病薬によく反応するといわれています。また、抗精神病薬の陰性症状に対する効果は低く、治療上の問題となっています。

 抗不安薬で紹介したようなネズミが人と同様な症状を示している(抗不安薬では不安を示している)と想定される動物モデルを幻覚、妄想に対して作成することはできません。例えば、食べ物に毒が入っているという妄想で食べなくなった人がいたとします。本人になぜ食べないのかと聞けば、妄想が明らかとなります。しかし、ラットやマウスが、餌を食べなくなった時には何か体調が悪くて食べなくなったものと推定されます。薬物の処置などによって起これば、その薬物が摂食障害を起こす作用があると判定され、妄想を惹起する作用があるとは想定されません。統合失調症患者で非難したり、命令したりする複数の声が聞こえるという訴えがあります。実際に誰もいないところで聞こえるのであれば、それは幻の声で、幻聴といいます。幻聴も幻覚の一種ですが、幻聴の命令で何かの行動をしたり、会話をしているのをそばで見れば、どうしたのと尋ねるでしょう。その時に、患者が「声が聞こえた」といえば幻聴がわかります。しかし、ネズミで何かの行動が現れた時に幻聴によるものと想定することは大変難しく、行動の原因となる理由が見つからない場合でも偶然起こったことと考えてしまうでしょう。このように、人の行動との類似性から幻覚、妄想の動物モデルを作成することは不可能に近いように思われます。

 このような状況を薬理学的に解決するのが行動薬理学です。DSM-IVの統合失調症の鑑別診断に「物質関連障害の中で、多くの異なった病型の、統合失調症の症状とよく似た症状が起こることがある(アンフェタミンやコカインの長期使用で、妄想や幻覚が生じ、フェンシクリジンの使用で陽性症状と陰性症状の混合が起こる)」と記載されています。これらの物質の摂取によって症状が起こっているのであれば、統合失調症と区別しなければならないということですが、裏を返せばこれら物質の摂取で実験的に統合失調症を作り出すことができるということになります。こういった背景から、アンフェタミン(amphetamine)やメタンフェタミン(methamphetamine)などの覚せい剤もしくは、これらと同様にドパミン神経伝達の促進作用があるドパミン作動薬アポモルフィン(apomorphine)やフェンシクリジン(phencyclidine)の投与により生じるネズミの行動変化によって評価する方法が広く用いられています。このモデルのおもな目的は、人の統合失調症に効果のある薬物を評価することなので、臨床的に統合失調症に効果のある薬物の有効性を評価してモデルの妥当性が検証されています。

2-1-1 常同行動(Stereotypy)

 これら薬物の急性投与によって起こる行動変化として自発運動量や常同行動の増加を観察する簡便な評価方法があります。ネズミの自発運動量は通常、さまざまな装置が市販されている自動化された測定装置で計測します。常同行動(stereotypy:情動ではなく常同)は同じことを繰り返す一見無目的な行動で、統合失調症の臨床でも認められます。ネズミでは、sniffing(臭い嗅ぎ)が代表的な行動ですが、biting(噛む)、gnawing(齧る)、licking(舐める)、rearing(立ち上がる)などを含めることもあります。このような行動がどの程度持続しているかについて観察し、時間や回数、スコアなどで評価します。このような行動の増加は抗精神病薬の投与で抑制されますので、簡便な評価方法として有用ですが、抗不安薬などの行動抑制作用がある薬物(鎮静薬)でも抑制され、また臨床的に統合失調症に特有な症状ではなく、統合失調症の評価モデルとしては特異性に欠けます。

2-1-2 プレパルスインヒビション(Pre-pulse inhibition)

Lafayette Rat Startle Response Enclosure and Sensor Plate
写真はLafayette Instrumentより引用

 統合失調症の患者で障害が認められ、障害に遺伝性が認められているプレパルスインヒビション(pre-pulse inhibition: PPI)(1)(2)という現象がネズミでも測定ができます。 パルス刺激を与える直前に弱い刺激を与えるとパルス刺激への反応が抑制される現象で、パルス刺激として測定には短時間の音刺激を与えます。音刺激によって驚く反応(驚愕反応)は実際に飛び上がるなど体が動いたことを測定装置により自動で検出します。人では筋電図の測定により瞬きや足の動きなどを測定しますが、ネズミでは、体全体の振動をネズミが入っているケージの振動として検出します。試験に使用される音刺激以外の音が聞こえると反応に影響するため、防音箱の中に入れ一定音のバックグラウンドノイズ(背景音)を聞かせた状態で試験します。プレパルスは背景音から10 dB程度大きな音を聞かせ、直後(100 msec程度)にパルス刺激として大きな音(背景音が60程度で刺激音が120 dB程度)を与えます。刺激時間はプレパルスがパルス刺激より短いようですが、どちらも数10 msec程度の短時間(パルス)の刺激です。プレパルスがある試験と無い試験をそれぞれ数回行い、プレパルスによってプレパルスがない場合と比較してパルス刺激に対する驚愕反応がどの程度抑制されたかを%PPIとして表示します。アポモルフィンの投与などドパミン作動作用によりラット(3),(4)、マウス(5),(6)で障害が認められます。また、フェンシクリジンによる障害(7)や、抗精神病薬による改善効果も認められ(8)、抗精神病薬の評価方法としてゴールドスタンダードになっています。PPIの障害されている状態が統合失調症のモデルなので、どのような手段で障害するかが重要です。ドパミン作動薬やフェンシクリジンの投与は簡便で有用な手段ですが、それらの薬物に対する拮抗作用があるだけで統合失調症に対する改善効果のない薬物が有効とされる危険性もあります。ノックアウトマウス(9)や脳障害モデル(10)などPPIを障害する異なる複数のモデルで評価することが、重要と思われます。また、それぞれの障害モデルの解析により統合失調症の成因や病理の解明、統合失調症の諸症状に対して改善効果のある薬物の創製(創薬)が期待されます。

2-1-3 フェンシクリジン動物モデル

 ハロペリドール(haloperidol)をはじめとする古典的な(定型)抗精神病薬はドパミン(D2)拮抗作用を有し、アポモルフィンによるPPI障害作用を抑制します。定型抗精神病薬(typical antipsychotics)は統合失調症の陽性症状に奏効しますが、陰性症状にはあまり効きません。近年使用されている非定型抗精神病薬(atypical antipsychotics)はSDA (Serotonin Dopamine Antagonist)とも呼ばれるセロトニン神経とドパミン神経の両者に拮抗作用を有する薬物やD2 partial agonistのアリピプラゾール(aripiprazole)などで、陰性症状にも有効といわれておりますが、さらに効果の高いものが求められております。陰性症状に奏効する薬物の評価には陰性症状の動物モデルが欠かせません。人で濫用により統合失調症様症状を惹起するフェンシクリジンのネズミへの連続投与による社会的行動(social interaction)の低下は臨床症状にマッチしたモデルと考えられます。フェンシクリジン投与による統合失調症の動物モデルは、野田らによって詳しく報告されています(11)(12)(13)

2-2 抗精神病薬の副作用(錐体外路症状)

 多くの抗精神病薬はドパミン神経系を抑制するために運動機能障害を惹起します。錐体外路症候群(extrapyramidal syndrome)とも呼ばれる運動機能障害は振戦、固縮などのパーキンソン様症状(parkinsonism)や不随意運動(dyskinesia)などで、特に抗精神病薬の長期間連用で症状が現れることのある遅発性ジスキネジア(tardive dyskinesia)は日常生活に支障をきたす大変重篤な副作用です。

 このような錐体外路症状の評価にもネズミのモデルが使用されます。不自然な姿勢を長時間持続する症状をカタレプシー(catalepsy)といいますが、抗精神病薬の服用で起こる錐体外路症状のひとつで、ネズミでは簡単なモデルで評価することができます。針金を適当な高さで横に張ってネズミの前肢をかけると、通常ネズミはすぐに前肢を下します。カタレプシーが起こると長時間(数10秒)肢をかけたままの姿勢を保ちます。姿勢を保ち続けている時間を測定することによりマウスやラットでカタレプシーが評価できます。

 近年使用されている非定型抗精神病薬は錐体外路症状が少ないといわれていますが、肥満の誘発が新たな副作用として問題となっています。いうまでもなく、摂餌量の増加など肥満の評価にもネズミの行動薬理試験が利用されています。

2-3 おわりに

 幻覚を現実(reality)認識の混乱ととらえ、パブロフの条件付け(Pavlovian conditioning)を動物モデルとして考察している興味深い論文があります(14)。古典的な条件付けで音と報酬(餌)を条件づけると、音だけで餌がもらえるという期待が生まれます。また、餌を摂取した後に薬物(LiCl)の投与で気持ち悪くするとその後に、餌を摂取しなくなるという味覚嫌悪学習と呼ばれる条件付けがあります。これを組み合わせて、ラットに音と餌で条件付けした後、音とLiClを条件づけると、餌を摂取しなくなるという報告があります(15)。餌とLiClは直接条件付けられておらず、餌を食べると気持ち悪くなるような気がして摂餌量が減少したとすれば、ラットの現実認識に混乱が起きているとの理解は受け入れやすいものです。しかし、見えるはずのないものが見えているという幻視や聞こえないはずの声が聞こえる幻聴などの幻覚と上記ラットの実験における現実認識の混乱を結びつける解釈は直感的に受け入れにくいでしょう。心理学的にも大変興味深い考察ですが、更なる今後の検討が必要です。

参考文献

DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル

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