乗り物酔いや宿酔などによる吐き気を経験したことがある方は多いでしょう。これらの嘔気、嘔吐は本人の行動で抑制したり我慢したりすることも可能ですが、抗がん剤投与による吐き気は深刻でそのために抗がん剤の用量を下げたり治療をやめたりすることがあり、吐き気自体が治療の対象となります。実際に、セロトニン3(5-HT3)受容体拮抗薬である制吐剤が開発され臨床適応されていますが、特に抗がん剤投与後長時間経過して生じる吐き気(delayed emesis)への効果は十分ではなく、更に有効な薬物が求められています。薬物のスクリーニング、評価に動物実験は必須ですが、マウスやラットは吐きませんので、嘔吐により催吐作用もしくは制吐作用を評価することができません。嘔吐を示すsuncus(スンクス:トガリネズミ)、ferret(フェレット:イタチ)(1)やイヌなどによって評価することは可能ですが、スンクスやフェレットは使用経験が少なく、イヌはラット・マウスより大型で実験動物としては扱い難いのが現状です。そのような中で嘔吐に代わる行動としてラット・マウスのパイカ行動(カオリン摂取)が注目されています。

6-1 パイカ行動

 栄養価がなく食べ物とはならないものを摂取する行動をパイカ(pica)行動といいます。人で持続的(1ヶ月)に認められるものは異食症と呼ばれる幼児期または小児期早期に見られる摂食障害のひとつです。米国精神医学会の診断基準であるDSM-IV(精神疾患の診断・統計マニュアル)で異食症の診断基準は「A. 非栄養物質を食べることが少なくとも1ヶ月の期間持続する、B. 非栄養物質を食べることが、その者の発達水準からみて不適当である、C. その摂食行動は文化的に容認される習慣ではない、D. その摂食行動が他の精神疾患(例えば精神遅滞、広汎性発達障害、統合失調症)の経過中にのみ認められる場合、特別な臨床的関与に値するほど重要である」の4項目です。「異味症」とも呼ばれますが、異味症は文字通り「異なる味がする」味覚障害(錯味症:parageusia)の意味でも使用されますので、picaの訳語としては異食症もしくはパイカがより適切です。

6-2 カオリン摂取

 カオリン(高嶺土、Clay)は含水ケイ酸アルミニウム(hydrated aluminum silicate)を成分とする粘土です。産地である中国江西省高嶺(Kaoling)にちなむ名前で鉱石はカオリナイト(kaolinite:高嶺石)と呼ばれています。試薬として販売されているカオリンは粉末状で扱いにくいため、カオリン摂取の実験ではアラビアゴム(3%程度)を混ぜて固形にして使用します。ラット・マウスの飼育に使用する通常の固形食(商品名CE-2 やMFなど)と同様な俵型にカオリンを成型し、摂取試験を行います。悪心、嘔吐が起こると考えられる抗がん剤投与や放射線照射などの処置をラット、マウスに施すとカオリン摂取が認められます。摂取量は薬物の投与量や放射線照射量に相関し(2)、制吐剤による摂取の抑制も認められ、カオリン摂取がラット・マウスにおける悪心・嘔吐に代わる行動として評価モデルに使用できることが知られています。カオリンの摂取は内臓の不快感(悪心、嘔気)を抑制するための行動とも考えられ、このように薬物を摂取するような合目的的な行動であれば精神障害としての異食症ではありません(異食症のモデルとはなりません)が、栄養価のないものを摂取する行動としてパイカ行動と呼びカオリンの摂取量として測定します。

6-2-1 カオリン摂取の測定方法

 ラットに飼育用の固形食とアラビアゴムで固形化したカオリンをそれぞれ餌箱に入れて摂取させ、1日1回同じ時間に餌箱毎重量を測定することにより1日の摂取量を測定します。その際に、ケージ内に持ち込んで食べずにこぼしたものを集めて食べこぼしの重量を差し引きすることが必要です。そのため、ラットは床敷き(チップ)を敷かず金網の床で飼育して、糞や尿、餌と分けてカオリンを集めます。

 マウスでも同様な測定方法が期待されますが、マウスではケージ内への持ち込み量が多く、カオリンが粉となって餌や糞尿と分離して集めることが難しく、摂取量も少ないためこの測定方法による評価はできません。代わりの方法として、色素を入れた固形のカオリンをマウスに摂取させ、回収した糞の色素を抽出して吸光度で測定する方法が考案されています(2)

6-2-2 ラット用自動測定装置

 摂餌量を自動測定する装置に、固形餌の代わりに固形のカオリンを入れ重量センサーにより摂取量を経時的に自動で測定する装置が市販されています。重量センサーが二つあり、カオリン摂取量だけではなく摂餌量も同時に測定することが可能です。手動で行う1日1回の測定と異なり経時的な測定が可能で嘔気・嘔吐の時間経過も評価が可能です(3)。食べこぼしの餌は屑受けに落ちて残りの餌と一緒に重量が測定できる構造となっていて、ケージ内に持ち込まれにくい工夫がされています。同様の構造のマウス用摂餌量測定装置もありますが、前述のようにマウスではカオリンの摂取量が少ないためこの装置でもケージ内への持ち込み量が無視できず、この装置によるマウスのカオリン摂取は測定できません。

6-3 おわりに

 カオリン摂取は外見上明らかに嘔吐とは異なる行動で、ネズミが悪心や嘔気を感じているかどうかはわかりません。しかし、臨床で人に催吐作用のある処置でラットにカオリン摂取が認められ、制吐作用のある薬物で抑制効果が認められるこの行動は、薬物の評価に大変有用なモデルとなります。このような一見、人の行動と異なるネズミの行動の相関を発見し、有用な動物モデルとして確立することも行動薬理学の醍醐味です。

参考文献

実践行動薬理学

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